1994年(当時17歳)地元の読谷村主催マジック教室に参加してプロマジシャンの魅力を知ることでマジックの虜になる。
その後、プロマジシャン新垣氏に師事しマジックに対する心構え・技術・心理学を伝授される。 一年後師匠が行方不明になることから、長きに渡る独自のトレーニングの日々が始まることになった。
1997年(20歳)になると、パフォーマーとして活躍の場所を開拓する。大学に通いながらセミプロパフォーマーとして県内イベントで活躍する。マジシャンから外れて、道化師(ピエロ)や大道芸人としてプロ的な活動をすることになる。芸風が認められて、芸能タレント事務所に所属することによりプロ芸人の仲間入りとして県内外のイベント会場で出演を増やす。
飽くなき発展の為に、演劇要素を組み込むために、演劇空間大地へ役者として稽古をしたり、県外へと武者修行を繰り返す。そのような活動により全国区のフェスティバルなどにて毎年選出されるようになり、やがて芸人ならだれでも憧れる“静岡大道芸ワールドカップ”へオーディションにより大道芸人として選出されることになる。
- 県内パフォーマー育成のため、沖縄国際大学や地域の公民館などでパフォーマンスサークルを結成
- 東京のプロマジシャン団体「EMC(エリート・マジシャンズ・クラブ)」所属会員となる。
- メガミュージックにて3年ほど所属タレントとして活動をする。
- 全国のマジックや大道芸コンテストなどにも積極的に登場するようになる。
- FECお笑い選手権にも出場してお笑い芸人ともお笑いネタで勝負して決勝戦まで勝ち上がる。
- 吉田明美パントマイムスクールへ単独にて一人強化合宿をする。
- 県内外のTVや新聞などのマスメディアに掲載される。
- 九州大道芸祭りフェスティバルへ選出される。
- 静岡大道芸ワールドカップ オフ部門に選出される。
- 芸王グランプリ九州地区大会に選出。
- 演技力を高めるために「演劇空間 大地」で演劇役者として9ヶ月間役者として活動する。
- 「新国立劇場監督 栗山民也 演劇ワークショップ」に選出されて劇団員として特訓する。
- パントマイマー(花城氏)に師事し、パントマイムの基礎から個別トレーニングを受ける。
- 芸王グランプリ九州地区大会に選出される。
- 鹿児島県喜界島の祭りへ特別出演
- 大阪エンタフェス本戦へ出場。
- 東京都庁ヘブンアーチスト一次審査合格したが、最終審査にて落選。
- イリョージョンマジックも取り入れることにより、大規模ステージに対応する。
- 沖縄こどもの国マジックフェスティバルにて、イベントの監修。
- ホテルムーンビーチにて40日間連続ディナーショー開催。
主なメディア出演履歴
- 琉球新報 レキオ表紙一面
- NHK TV番組 うちにおいでよ(特集)
- 新聞(ウェンディー3月号)の全国区の一面に登場
- 東芝3Dテレビのプロモーション映像CMとして全国版出演(主役)
- ほっかほっか亭の弁当屋CMメイン出演(フーチャンプルー弁当主役)
- RBC琉球放送 Aランチにマジック講師として出演
- 2010オールトヨタ秋のフルラインアップフェスティバル(メインコマーシャル)
- 琉球放送 狩俣倫太郎の番組(沖縄BON)にてゲスト出演
- 琉球放送特別番組 「夢へ一直線」にてミスタートヨタ特集企画
- RBCテレビ【琉球放送】Aランチにマジック講師役として出演
フェスティバル・コンテスト等の主な出演実績
沖縄県内のみならず、全国フェスティバルでも活用した実績
- 99 演劇空間 大地(役者として入団)
- 01 WI主催全国スカウトキャラバン マジックコンテスト参戦
- 01 FEC主催お笑いコンテスト参戦
- 01 沖縄県国際通り大道芸大会参戦
- 02 WI主催全国スカウトキャラバン マジックコンテスト参戦
- 03 九州大道芸コンテスト 決勝グランプリ
- 03 静岡大道芸ワールドカップへオフ部門
- 04 芸王グランプリ南部地区大会 福岡
- 05 芸王グランプリ南部地区大会 鹿児島
- 05 大阪府エンタフェスフェスティバル
- 05 東京都ヘブンアーチスト
- 役者としての活動
- 演劇空間「大地」にて演劇役者デビュー
- 栗山民也 演劇トレーニングと舞台出演
- 熱風(音楽・コンテポラリーダンス・異種パフォーマンス団体)
主なイベントへの出演実績
- 沖縄こどもの国マジックフェスティバルにて、イベントの監修。
- ホテルムーンビーチにて40日間連続ディナーショー
- 株式会社セルリアンブルー主催のクリスマスディナーショー
- 2010オールトヨタ秋のフルラインアップフェスティバル
- 大宜味村椿まつり
- 株式会社インターナショナル・ビジネス・センター 株式会社近代美術